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生主見聞録

リニューアルしました。好きなことを書きます。

賢い人の見解

2018.06.14 (Thu)
何度も配信中に説明するのが怠いので配信ですぐ見せれる資料用としてこのブログを記します。

賢い人ってのは多少の差異はあれど、大抵の場合見解が似ると思っています。

具体例としてFPSやPUBGで例えるとする。
ゲームには基本的に強いチームというものがいくつもある。
それらにおいて考え方は多少異なったりするが基礎的なところでは皆共通的な意見を持っている。
例えば近距離の撃ち合いにおいてわざわざ単発撃ちをする人は少なく(フル)バーストで撃つ人がほとんどであろう。
何故説明書に書いてあるわけでもないのに全員が全員同じ結論に至るのか?
それはDPS(一秒当たりの火力)という観点において「敵を最も早く倒せる」のは単発ではなくバースト撃ちだからだ。
同じように基本的には相手の視野に入ることを極力避け、どこから来るかわからない状況を出来るだけ作るというのも大体の撃ち合うゲームの基本となるだろう。
これは当然目視できてる物を撃つのといつくるかわからない状況で撃つのでは反応速度が変わってくるという当たり前の話だからだ。
だが初心者の場合はどうだろう?
私は近距離でも単発を試みたり、壁に寄らず道の真中を闊歩している人を何度も見たことが有る。

ゲームだと分かる人とわからない人がいるかもしれないので別の例えとして、人間のコミュニケーションを例にしてみる。
ある程度まともな生活を営んでいる者は、基本的にさほど親しく無い人にしつこすぎるほどチャットやメールを送れば嫌われやすいということを知っているはずだ。
また、別にそんな気がなくとも大して仲良く無い異性に対し「会おう」という旨を告げれば体目当てを疑われて間違いなく距離を置かれる。
他にも自分の不幸アピールをしたり、ネガティブ発言が多いと嫌われるというのは人間の心理として当然のものだが、
これらは辞書にも法にも載っているわけでもなく学校や親に教えてもらうでもないが大体の人が共通して漠然と認識していることだ。
だが、コミュ障はこれらの事を平然とやってのけてしまう。それらに別に痺れも憧れもしない。

これらは通称『常識』と呼ばれるものだ。
常識とはその集団ごとに違う。
例えば日本では食器でご飯を食べるのが常識だが、他国では手で食べるのが常識な国も当然ある。
国や地域に限った話ではなく常識は社会(集団)ごとに異なるので先程の例え通り、ゲームにはゲームの常識が有る。

前述通り常識とは多くの人が共通的に認識しているものだが人によってその認識のレベルは大きく異なる。
例えばマンホールが丸いというのは常識だがマンホールが丸い理由を答えれるものは全体の何%だろうか?
人間は恋愛をするが恋愛の理屈をしっかり説明できるものは何人いるのだろうか?
皆恋愛をするが倦怠期の理屈をしっかり理解し倦怠期を乗り越える為の適切な知識を持っている者は何人いるのだろうか?

私見だがこの知識という分野において人間は四種類にカテゴライズされると思っている。
理解出来ている人…ベストという確証は無いが適切な理屈を理解できている人。
理解しようとしている人…理屈は理解出来ていないがそれは知識が足りてなかっただけ先程の例で言うならマンホールが丸い理由を調べようと思わなかったり、調べてもその理屈に当たる文献を見つける事が出来なかった人。
理解しようとすら思わない人…マンホールが丸いという事実は知っているがマンホールが丸いことなんてどうでもいいし興味が無い人。
そもそも知らない人…外国に住んでいる等マンホールが丸いなんてそもそも知らない人

私の経験上ほとんどの人は下の二つに属されると思っている。
もちろん知識が無いことが悪いとは思わない。例えばマンホールが丸い理由なんて知らなくても何不自由生活は出来るし使いみちなんてないであろう。
だが問題なのは多くの人が大した知識も無くそれらを批判したりすることだ。

例えば当然ながら皆が皆恋愛心理学を勉強しているわけではない。
だが何も知りもしないのに「別れたほうが良いよ」と分かった気になってまるで見識者のように語る人は多く見かける。もちろんそれを鵜呑みにする方も問題だけど。
別に必ずしもベストなアドバイスをしなくてはならないわけではないのでベターなアドバイスをすることも問題ないが多くの人はベターとすら呼べないレベルのアドバイスを述べる人が多い。
おまけに質の悪いことに彼らの大半は自分に大した知識があるわけでもないのに見識者のように語るだけではなく、それらについて正しいかどうか調べようとすることは無い。または調べてもわからないから知ったかぶるという人で溢れている。

別に無知であるということは恥ではないのだ。年齢による差や勉強してきた密度の差、分野の差があるので別に知らないことやわからないことは恥だとは私は思わない。
だが自分が無知であることを自覚できていない者は恥である。所謂ソクラテスの言う無知の知だ。
こんな記事を書いても無知であることを自覚できていないような馬鹿がこんな小難しい話の記事を読むとは当然ながら思っていない。きっと馬鹿は今まで通り女の尻でも追いかけて大して考えることも無く生きそのうち死ぬのであろう。別に他者の人生観は否定しないしこれらの差はIQという先天的なものによる差であると思っているので仕方ないことだと思っている。
だが、もう一度述べるが無知であることは恥ではない。
知らないことを知ろうとしたり、勉強しても理解できないことは一切恥ではない。
本当の恥とは知ろうとすらせず偉そうに井戸の底で物を述べる奴だ。

初めの話に戻るが基本的な部分において見識者の意見は共通する。
だが、見識者同士であっても意見は異なることは多々ある。
例えばチームVSチームのゲームがあるとする。
戦略として「極力味方が来るまでの時間を稼ごう」というチームもあれば、「あそこは強いポジだから一人で相手の敵を全員倒すことが出来るだろう」とカバー(味方が助けにくること)に向かわないチームもあるだろう。
それらはチームごとに考え方が違うし、理論値重視で動くか統計的な理論で動くか等観点によって見解が異なるからだ。(だが当然ながらどのチームも道端の真ん中で踊っている馬鹿は流石にいない。)
これについても自分の意見が正しいと他者を否定するのではなく、他者の意見も聞いて「そういう考え方も有りだよな」と認識することも重要である。
この時に重要なのが論理的思考である。
ゲームなんてやったことが無いような素人から見てもある程度論理的な思考が出来れば壁に寄り添わず道端の真ん中に棒立ちしている人や、視点が敵が来る場所ではなく味方の方を向いていれば下手だなとわかるはずだ。
このように論理的思考はどのような物事においても優れた見解を持つ上で重要である。
だが、当然世の中には理屈を考えれるほどの論理的思考が得意じゃない人も多くいる。
それらの人は成長速度は運任せの部分が多いが基本的に何千時間もこなせば熟練者とされる。
彼らは先程のゲームでいうところの、何度も死に何度も撃ち殺している間に、どう立ち回れば勝てるのかということを感覚で理解できているからだ。これは当然ゲームに限ったことではない。世の中の物事の全体に言えることであり皆も人生において「なんとなくこうした方が良い。」という認識を持っているはずだ。
だが一部を除いて当然感覚派よりも理論派の方が有利であることは当たり前であろう。
例えば配信においてテロップは過激な方が閲覧が来る。
ツイキャスにていつも過激なテロップを出している人がある時別のテロップで配信しようとした時に「過激な方が人が来る」という理屈をしっているかどうかで閲覧数は大分変わるのは当然の話だ。
同じように他にも過激な物が受けるんだということがわかれば配信に限ったことではなくとも広告業をこなす時にその配信での知識は必ず役に立つであろう。
このように分野は違えどその理屈を理解してるが為に他分野でも有利になれるポイントはいくらでもある。

今回は多くのことを述べたが、最後に人生のアドバイスとして相手がどのような人であるかを見極めることは重要だ。
例えば素人が「理由は知らないけどなんとなくお前癌じゃね?」って言われてもそれを信じる人は中々いないだろうが医師が「恐らくその症状は癌の特徴を発症しているので癌である可能性が高いと思います」という意見を信じる人はほとんどであろう。
一々頭の悪い人の意見を鵜呑みにしていても仕方ないしそれらを気にしたってしょうがない。だが相手が見識者のように論理的に話せるのなら納得したり理解できなかったらそれらを蔑ろにしてはならない。
また、自分の納得出来ないことであっても自分が見識者だと認めるほどの人間であった場合はそれを鵜呑みにする方が人は簡単に生きられる。人間の半数以上は馬鹿なのだから。
また、知ろうとしない考えない馬鹿であるのならば恥じるべきだが(恥じるほどの能も無いだろうが)、無知であることを恥じることはない。知ろうとしたり考えようとしているのならば一切の問題はないのだ。

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