生主見聞録

リニューアルしました。好きなことを書きます。

死の解明

2018.11.03 (Sat)
※ この記事には陰鬱な気分にさせる考察が多いので閲覧注意

前書き: カルト宗教から読み解く"死への恐怖"は金儲けの道具


いきなりですがビジネスにおいて儲かるコンテンツってなんだと思いますか?
答えは日常生活において欠かせないものです。
例えば人間は皆食事をするので食品産業はいつの時代でも需要があります。
他にも性についてやお金についてほとんどの人にとって需要があるものは当然金銭に結びつきます。
日本人にはあまり馴染みはありませんがその中でも死を利用する宗教はかなり需要の高いものだと言えると思います。



1.死ぬことに意味を与える宗教


宗教の発展については諸説ありますが、歴史を見る限りでは宗教はあまり良い使い方はされていません。
例えば国の設けたルール以外にも誰かが規律を守らせる為に用いることも有りましたし、戦争への言い訳に使われることも非常に多かったようです。
当然人は生物である以上、死への恐怖に怯えているので死と隣り合わせの戦争に行きたがる者は中々いませんでした。そうした時に宗教が栄え、戦死することで天国に行けると教え込むことで皆喜んで死んでいきました。
つまり宗教には少なからず死への恐怖を悪用した洗脳効果が十分にあるのです。
死とはそれほど恐ろしく誰にでも平等に訪れるものなのです。

話は一旦それますが、そもそも宗教において「○○しないと極楽にいけない」とか「信仰心がないと天国に行けない」等、これらの規律は完全に人間が作り出した嘘であり神は一切関係ないとよく感じます。
僕は学生の頃からいくつかの宗教について勉強してきましたが、どの宗教でも「人間は弱き者である」と謳っておきながら、いるかどうかあやふやな神の存在を信じさせる神なんていないのではないでしょうか
熱心な信者に刺されるかも知れないけど本当に神がいるのなら「いるかどうかはわからないけど果たして自分の存在を信じきれるかな〜w信じ切った君はなんと死後に極楽に連れて行っちゃうぞ〜w」なんて頭の悪そうな事しますかね?
もしもいるのなら相当性悪で狂った神だと私は思いますが。。



2.死後の世界の有無


本題に戻りますが人間である以上ほとんどの人は「死後の世界はあるのか?」と一度は疑問に思ってると思います。
ぶっちゃけ僕は神のような意思のある何かはいると思っていますが(理由後述)死後の世界は無いと思っていますし、仮にあったとしてもそもそも素敵なところではないと思っています。

まず第一に皆さんの感情はどこからきているのでしょうか?当然脳みそです。
死後の世界について考察すると大抵の人は生死についてばかり考察しますがそもそも僕らが楽しいと感じてるのも全て脳があってのおかげなのです。仮に死後の世界があったとしても現世に肉体は置いていくのです。これはもはや一切身動き取れない植物人間と同じような状況と一緒ではないでしょうか。
生命活動してはいるけど考えることは出来ない動くことも出来ない。
そもそも皆様は死ぬのが怖いのでしょうか?恐らく死ぬこと自体が怖いのではなく死ぬと物事を考えれなくなることが怖いのでは無いでしょうか? 死ぬことだけが怖いのなら、あなたは永遠の生を引き換えに植物人間としての人生でも歩めますか?きっと嫌ですよね。
植物人間だって生きてます。立派に生きてるし肉体だって健在です。もし魂が存在するのなら魂だって宿っていることでしょう。
でも植物人間は嫌なんですよね?じゃ魂があろうがなかろうが脳が上手く動いてない状態自体に恐怖を覚えているのでは無いでしょうか。

第二に僕らの考えは常識や経験によって成り立っています。
それは当然物理法則や現世における環境等が主となっています。
つまり死後の世界が仮にあったとし、仮にそこで思考が出来たとしても今までと全く違う環境を受け入れて暮らしたいと思えるのでしょうか?
例えば日本等の先進国に住んでいる人にいきなり「お前生涯ジャングルで暮らせよ」と言っても皆拒絶するでしょう。これは逆も然りでジャングルやアフリカの過疎地に住む人々も先進国で暮らしたいとは思っておらずルールなどに縛られることでストレスを感じることでしょう。
同じ地球の中ですら移住は嫌がるのに果たして死後の世界での生活(?)を受け入れることは出来るのでしょうか?

皆生きてる上で楽しみはあると思います。
例えば人に好かれてる自分が好き、愛しい人といれることが好き、美味しい食べ物が好き、酒が好き、ゲームが好きetc..
果たして死後の世界にも同じものがありますかね?
もしかしたら考えることが出来たとしても真っ暗な身動きの取れない部屋でずっと辛い気持ちを味わうだけかも知れませんね。
僕はそんな悲しい世界にいくくらいなら何も思考できなくなっても良いと思っています。

僕は死んだら大体の人の予想通り"無"になると思っています。
無になるとは考えることも出来ず苦しむことも喜ぶことも出来ず、怖いと思うことも無いと思います。
よく例として死後の世界は真っ暗闇だと言う人がいますが、真っ暗闇だなんて語弊のある言い方ではないでしょうか?闇であることすら知覚出来ず何も無かったことになるのでは無いでしょうか?
先程も述べましたが自我や感情なんて脳から出てくるものなんで僕は仮に死後の世界があったとしても恐らく喜ぶことはないでしょう。
GANTZみたいに死んだ瞬間にどこかに転送されて肉体があるまま永遠の時を生きれるのなら別ですが…



3.命の価値


あまりこういうことは書きたくはないのですが、そもそも僕らの存在というものは思った以上にちっぽけだし人は簡単に死にます。
例えば偉人ならともかく100年前に誰が生きていたのかなんて一々把握していないし、今現在生きてる人ですらほとんど把握出来ていないでしょう。
自分に一切関係ない他者が死のうが一切替わらず世界は回り続けるし誰も困ることは無いです。
そもそも他の生物的な観点で見るのならチェルノブイリのように人が離れたおかげで自然豊かになり野生動物にとっての楽園にもなるでしょう。
人間は誰しもが自分の命は大事なもので、尊いと感じていますが実際は儚く大した物ではないのが現実なのです。
僕は人生とは終了予告されてるオンラインゲームに似ていると思います。
多くの人は終了予告されてるゲームで頑張ってレベル上げしたり努力することは無いと思いますが、人生も一緒で努力しようが結局最後は無になってしまう意味のないことになると思います。実に虚しいですね。
そう考えると人生はいつ死のうが関係なく自殺するのも勝手で生きて頑張るだけ無駄だという思考に陥りそうですね。

また、何食わぬ顔で乗ってるバスや飛行機でも運転手がわざと死のうと思えば乗客も全員纏めて死ぬことだって出来ます。
車だってちゃんとした交通ルールを守る人がいるおかげで成り立っていますがいつぞやの秋葉の事件のようにやろうと思えば車で突っ込んで歩行者を殺すことなんて簡単でしょう。
人間は一定のルールによって守られていますが人の命なんて本当に儚いものです。
こういう事実に気づいてしまうと「じゃ努力するだけ無駄だから自殺したろ、周り巻き込んで死んでもいいや、どうせ逮捕されようが遅かれ早かれ皆死ぬんだし良いよね」みたいな思考になりかねないのできっと死について詳しく触れた教育は無いのが現実なのでしょう。

こういう話ばかりしていると本当に自殺する人が出てきたりテロを起こすような人が出てきそうで怖いですが、そのくらい命は儚くしょうもないものだということを理解してほしいのです。
現代の日本では医療の進歩により寿命が一昔前の倍伸び、戦争が無い為戦死することもありません。
法整備も進んでいるので他殺も中々起こらず、先人達のおかげで食べてはいけないものや危ない場所なども事前に知ることが出来ます。
そのことを理解し、本来は命は儚くしょうもないものであることを忘れないことこそが人生を楽しむコツだと思います。
私の周りではくだらない人間関係に悩んだり、仕事して飯食ってうんこして寝てを繰り返す人間も多くいますが人生一回きりなのにそんなつまらない人生で本当に良いのでしょうか?
折角現代医療やルール作りのおかげで長く生きれているのに限り有る生をしたくもない仕事等に大半を費やすのは少々馬鹿らしい気がしますね。
近未来では機械の発展により労働のほとんど要らない世界がやってくると思いますが、その世界から見れば私達は相当惨めでやりたくもない仕事を嫌々してる可哀想な世代になるでしょう。ちょうど私達が奴隷制度を憐れむように。



生命の創造主の存在


ちなみに今まで散々ボロクソに死後などのオカルトを徹底批判しましたが、神のような意思ある何かはいると思いますし人間は特別な存在だと思っています。
冷静に考えれば「所詮人間なんて大雑把に言えば元素の集合体だし死ねば土に還って地球の一部になるだけだしな」とは思いはしますがそれだけでは納得できないことは多くあります。
むしろ科学的見解で考えれば考える程、神のような思考を持った何かがいないと納得できない事が多くあります。
少し小難しい話をしますが、まずそもそもこの地球という環境が存在していること自体が本当に天文学的確率であるという話は一度くらいは聞いたことあるかも知れません。
プールの中に時計の部品を入れて水をかき混ぜたら偶然時計が出来ちゃったって例えもありますがまさにそれといった感じに学習すれば学習するほど、地球というありえないほどのご都合主義の環境の存在に驚かされます。最近なろう系という小説に大してご都合主義だのなんだの批判する人が多くいますが地球はそんななろう系を圧倒的に凌駕するほどご都合主義の塊です。尤もその環境にあうように生まれてきたと言われればそれまでですが、だがその理屈だけでは火星でも月でも太陽でもそれに順応出来る生物が生まれてきてもおかしくはないです。つまり生物とは地球のような環境下にだけしか存在し得ない特別な存在であると言えるでしょう。

また、生物の体は誰かが作ったとしか思えないほど完璧にデザインされています。
小さい頃から何故人間には無駄な臓器や無駄な物がついてないのか不思議でした。
例えば腕が三本あって、一本は誰も動かすことが出来ない等の無意味さがあっても良いと思います。
何故頭蓋骨は硬いのか、何故腕は有るのか、何故胸は膨らむのか等、全部誰かが作ったとしかいいようがないほど完璧に理由のあるデザインなのです。「脳みそは最も大事なパーツだが残念ながら頭蓋骨は柔らかくおまけに体を激しく揺らすと頭蓋骨が脳みそに刺さって死にます。」みたいな愉快な構造にはなっていません。
「脳みそは大事だから頭蓋骨っていう硬い骨で守るように設計したろ」みたいに誰かが意図して設計したと考えた方が納得できるのです。
(最近知りましたが僕のような考え方に似たものにインテリジェント・デザインというものがあるらしいです。似てないとこも多いけど)
なので僕は死後の世界とかは信じてはいないし、そもそも死ぬことを都合よく正当化する為に使われた側面が大きい以上死後の世界なんて無いとは思っていますが創造主はいると思っています。
神というと正確には語弊がありますが意志のある何かが介在しているとは思っています。それこそが我々の言うところの自然の本質なのかも知れないですね。
ただ、世間一般で言うような神がいるとは一切思っていないし、現在の人間にさほど干渉しているとも思えないし愛しているとかも一切思っていません。「全ては自然発生です」という意味不明な話が理解できないだけでこの世界を作った何かは確実にいると思います。石がそこに転がってる意味は誰も説明できないけど頭蓋骨が硬い理由は多くの人が説明できます。それが自然と非自然の差です。
仮にもし神がいて人格のようなものを持っていたとしてもきっと僕らがゲームを作りバーチャルな世界を見るように、神も僕らを見ることは出来るが僕らが神を知覚することは無いでしょう。
そして僕らが躊躇いも無くゲームの敵を殺すように神も僕らが死のうが一切の興味を示すことは無いでしょう。

コメント

久しぶりにれいぶんさんのブログ見たー

私は宗教の中では神道的な考え方が1番信用できると思いますね。
万物に魂があって〜みたいな。
もちろん神話内の歴史は信じないけど。

死についてだけど、私は前世とか来世とか信じてますね…。
この人生がゲームだとしたら、死んだら「現実世界」みたいなところに行くと思ってます。現実世界での大元の記憶があって、今の人生は大元の記憶を制限された状態なのではと。
だから今の人生で得た感情も、死後の現実世界では「あー感情移入し過ぎちゃったなぁー」みたいな感じになるのではないかと勝手に思ってます。
そう信じたら楽です。
死ぬの怖過ぎです。

生物のデザインは、そう進化してきたからなのかな?
最初の方は頭蓋骨の弱い人間もいたけど、そういうのはすぐ死んで、強い奴が生き残って遺伝子を残してく…みたいな。
尾てい骨や盲腸とか、今の人には必要ないもの(だっけ?)はいずれ消えていくかもですね。

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