生主見聞録

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哲学 の記事一覧

死の解明

2018.11.03 (Sat)
※ この記事には陰鬱な気分にさせる考察が多いので閲覧注意

前書き: カルト宗教から読み解く"死への恐怖"は金儲けの道具


いきなりですがビジネスにおいて儲かるコンテンツってなんだと思いますか?
答えは日常生活において欠かせないものです。
例えば人間は皆食事をするので食品産業はいつの時代でも需要があります。
他にも性についてやお金についてほとんどの人にとって需要があるものは当然金銭に結びつきます。
日本人にはあまり馴染みはありませんがその中でも死を利用する宗教はかなり需要の高いものだと言えると思います。



1.死ぬことに意味を与える宗教


宗教の発展については諸説ありますが、歴史を見る限りでは宗教はあまり良い使い方はされていません。
例えば国の設けたルール以外にも誰かが規律を守らせる為に用いることも有りましたし、戦争への言い訳に使われることも非常に多かったようです。
当然人は生物である以上、死への恐怖に怯えているので死と隣り合わせの戦争に行きたがる者は中々いませんでした。そうした時に宗教が栄え、戦死することで天国に行けると教え込むことで皆喜んで死んでいきました。
つまり宗教には少なからず死への恐怖を悪用した洗脳効果が十分にあるのです。
死とはそれほど恐ろしく誰にでも平等に訪れるものなのです。

話は一旦それますが、そもそも宗教において「○○しないと極楽にいけない」とか「信仰心がないと天国に行けない」等、これらの規律は完全に人間が作り出した嘘であり神は一切関係ないとよく感じます。
僕は学生の頃からいくつかの宗教について勉強してきましたが、どの宗教でも「人間は弱き者である」と謳っておきながら、いるかどうかあやふやな神の存在を信じさせる神なんていないのではないでしょうか
熱心な信者に刺されるかも知れないけど本当に神がいるのなら「いるかどうかはわからないけど果たして自分の存在を信じきれるかな〜w信じ切った君はなんと死後に極楽に連れて行っちゃうぞ〜w」なんて頭の悪そうな事しますかね?
もしもいるのなら相当性悪で狂った神だと私は思いますが。。



2.死後の世界の有無


本題に戻りますが人間である以上ほとんどの人は「死後の世界はあるのか?」と一度は疑問に思ってると思います。
ぶっちゃけ僕は神のような意思のある何かはいると思っていますが(理由後述)死後の世界は無いと思っていますし、仮にあったとしてもそもそも素敵なところではないと思っています。

まず第一に皆さんの感情はどこからきているのでしょうか?当然脳みそです。
死後の世界について考察すると大抵の人は生死についてばかり考察しますがそもそも僕らが楽しいと感じてるのも全て脳があってのおかげなのです。仮に死後の世界があったとしても現世に肉体は置いていくのです。これはもはや一切身動き取れない植物人間と同じような状況と一緒ではないでしょうか。
生命活動してはいるけど考えることは出来ない動くことも出来ない。
そもそも皆様は死ぬのが怖いのでしょうか?恐らく死ぬこと自体が怖いのではなく死ぬと物事を考えれなくなることが怖いのでは無いでしょうか? 死ぬことだけが怖いのなら、あなたは永遠の生を引き換えに植物人間としての人生でも歩めますか?きっと嫌ですよね。
植物人間だって生きてます。立派に生きてるし肉体だって健在です。もし魂が存在するのなら魂だって宿っていることでしょう。
でも植物人間は嫌なんですよね?じゃ魂があろうがなかろうが脳が上手く動いてない状態自体に恐怖を覚えているのでは無いでしょうか。

第二に僕らの考えは常識や経験によって成り立っています。
それは当然物理法則や現世における環境等が主となっています。
つまり死後の世界が仮にあったとし、仮にそこで思考が出来たとしても今までと全く違う環境を受け入れて暮らしたいと思えるのでしょうか?
例えば日本等の先進国に住んでいる人にいきなり「お前生涯ジャングルで暮らせよ」と言っても皆拒絶するでしょう。これは逆も然りでジャングルやアフリカの過疎地に住む人々も先進国で暮らしたいとは思っておらずルールなどに縛られることでストレスを感じることでしょう。
同じ地球の中ですら移住は嫌がるのに果たして死後の世界での生活(?)を受け入れることは出来るのでしょうか?

皆生きてる上で楽しみはあると思います。
例えば人に好かれてる自分が好き、愛しい人といれることが好き、美味しい食べ物が好き、酒が好き、ゲームが好きetc..
果たして死後の世界にも同じものがありますかね?
もしかしたら考えることが出来たとしても真っ暗な身動きの取れない部屋でずっと辛い気持ちを味わうだけかも知れませんね。
僕はそんな悲しい世界にいくくらいなら何も思考できなくなっても良いと思っています。

僕は死んだら大体の人の予想通り"無"になると思っています。
無になるとは考えることも出来ず苦しむことも喜ぶことも出来ず、怖いと思うことも無いと思います。
よく例として死後の世界は真っ暗闇だと言う人がいますが、真っ暗闇だなんて語弊のある言い方ではないでしょうか?闇であることすら知覚出来ず何も無かったことになるのでは無いでしょうか?
先程も述べましたが自我や感情なんて脳から出てくるものなんで僕は仮に死後の世界があったとしても恐らく喜ぶことはないでしょう。
GANTZみたいに死んだ瞬間にどこかに転送されて肉体があるまま永遠の時を生きれるのなら別ですが…



3.命の価値


あまりこういうことは書きたくはないのですが、そもそも僕らの存在というものは思った以上にちっぽけだし人は簡単に死にます。
例えば偉人ならともかく100年前に誰が生きていたのかなんて一々把握していないし、今現在生きてる人ですらほとんど把握出来ていないでしょう。
自分に一切関係ない他者が死のうが一切替わらず世界は回り続けるし誰も困ることは無いです。
そもそも他の生物的な観点で見るのならチェルノブイリのように人が離れたおかげで自然豊かになり野生動物にとっての楽園にもなるでしょう。
人間は誰しもが自分の命は大事なもので、尊いと感じていますが実際は儚く大した物ではないのが現実なのです。
僕は人生とは終了予告されてるオンラインゲームに似ていると思います。
多くの人は終了予告されてるゲームで頑張ってレベル上げしたり努力することは無いと思いますが、人生も一緒で努力しようが結局最後は無になってしまう意味のないことになると思います。実に虚しいですね。
そう考えると人生はいつ死のうが関係なく自殺するのも勝手で生きて頑張るだけ無駄だという思考に陥りそうですね。

また、何食わぬ顔で乗ってるバスや飛行機でも運転手がわざと死のうと思えば乗客も全員纏めて死ぬことだって出来ます。
車だってちゃんとした交通ルールを守る人がいるおかげで成り立っていますがいつぞやの秋葉の事件のようにやろうと思えば車で突っ込んで歩行者を殺すことなんて簡単でしょう。
人間は一定のルールによって守られていますが人の命なんて本当に儚いものです。
こういう事実に気づいてしまうと「じゃ努力するだけ無駄だから自殺したろ、周り巻き込んで死んでもいいや、どうせ逮捕されようが遅かれ早かれ皆死ぬんだし良いよね」みたいな思考になりかねないのできっと死について詳しく触れた教育は無いのが現実なのでしょう。

こういう話ばかりしていると本当に自殺する人が出てきたりテロを起こすような人が出てきそうで怖いですが、そのくらい命は儚くしょうもないものだということを理解してほしいのです。
現代の日本では医療の進歩により寿命が一昔前の倍伸び、戦争が無い為戦死することもありません。
法整備も進んでいるので他殺も中々起こらず、先人達のおかげで食べてはいけないものや危ない場所なども事前に知ることが出来ます。
そのことを理解し、本来は命は儚くしょうもないものであることを忘れないことこそが人生を楽しむコツだと思います。
私の周りではくだらない人間関係に悩んだり、仕事して飯食ってうんこして寝てを繰り返す人間も多くいますが人生一回きりなのにそんなつまらない人生で本当に良いのでしょうか?
折角現代医療やルール作りのおかげで長く生きれているのに限り有る生をしたくもない仕事等に大半を費やすのは少々馬鹿らしい気がしますね。
近未来では機械の発展により労働のほとんど要らない世界がやってくると思いますが、その世界から見れば私達は相当惨めでやりたくもない仕事を嫌々してる可哀想な世代になるでしょう。ちょうど私達が奴隷制度を憐れむように。



生命の創造主の存在


ちなみに今まで散々ボロクソに死後などのオカルトを徹底批判しましたが、神のような意思ある何かはいると思いますし人間は特別な存在だと思っています。
冷静に考えれば「所詮人間なんて大雑把に言えば元素の集合体だし死ねば土に還って地球の一部になるだけだしな」とは思いはしますがそれだけでは納得できないことは多くあります。
むしろ科学的見解で考えれば考える程、神のような思考を持った何かがいないと納得できない事が多くあります。
少し小難しい話をしますが、まずそもそもこの地球という環境が存在していること自体が本当に天文学的確率であるという話は一度くらいは聞いたことあるかも知れません。
プールの中に時計の部品を入れて水をかき混ぜたら偶然時計が出来ちゃったって例えもありますがまさにそれといった感じに学習すれば学習するほど、地球というありえないほどのご都合主義の環境の存在に驚かされます。最近なろう系という小説に大してご都合主義だのなんだの批判する人が多くいますが地球はそんななろう系を圧倒的に凌駕するほどご都合主義の塊です。尤もその環境にあうように生まれてきたと言われればそれまでですが、だがその理屈だけでは火星でも月でも太陽でもそれに順応出来る生物が生まれてきてもおかしくはないです。つまり生物とは地球のような環境下にだけしか存在し得ない特別な存在であると言えるでしょう。

また、生物の体は誰かが作ったとしか思えないほど完璧にデザインされています。
小さい頃から何故人間には無駄な臓器や無駄な物がついてないのか不思議でした。
例えば腕が三本あって、一本は誰も動かすことが出来ない等の無意味さがあっても良いと思います。
何故頭蓋骨は硬いのか、何故腕は有るのか、何故胸は膨らむのか等、全部誰かが作ったとしかいいようがないほど完璧に理由のあるデザインなのです。「脳みそは最も大事なパーツだが残念ながら頭蓋骨は柔らかくおまけに体を激しく揺らすと頭蓋骨が脳みそに刺さって死にます。」みたいな愉快な構造にはなっていません。
「脳みそは大事だから頭蓋骨っていう硬い骨で守るように設計したろ」みたいに誰かが意図して設計したと考えた方が納得できるのです。
(最近知りましたが僕のような考え方に似たものにインテリジェント・デザインというものがあるらしいです。似てないとこも多いけど)
なので僕は死後の世界とかは信じてはいないし、そもそも死ぬことを都合よく正当化する為に使われた側面が大きい以上死後の世界なんて無いとは思っていますが創造主はいると思っています。
神というと正確には語弊がありますが意志のある何かが介在しているとは思っています。それこそが我々の言うところの自然の本質なのかも知れないですね。
ただ、世間一般で言うような神がいるとは一切思っていないし、現在の人間にさほど干渉しているとも思えないし愛しているとかも一切思っていません。「全ては自然発生です」という意味不明な話が理解できないだけでこの世界を作った何かは確実にいると思います。石がそこに転がってる意味は誰も説明できないけど頭蓋骨が硬い理由は多くの人が説明できます。それが自然と非自然の差です。
仮にもし神がいて人格のようなものを持っていたとしてもきっと僕らがゲームを作りバーチャルな世界を見るように、神も僕らを見ることは出来るが僕らが神を知覚することは無いでしょう。
そして僕らが躊躇いも無くゲームの敵を殺すように神も僕らが死のうが一切の興味を示すことは無いでしょう。

賢い人との思想の違い

2018.08.22 (Wed)

前書き:


昔同じような内容の記事を書いた気がするけど、今日はたまたま仕事中にこのようなことを実感することがあったのでそれを出来る限りわかりやすく例を交えて説明していきたい。



1.知識の差


とある3人の医者が討論しているとします。
お題は昨今で流行りの「炭水化物抜きダイエットの有用性について」です。

A「炭水化物抜きダイエットは効果があるよ。何故なら炭水化物を摂取することにより血糖値が上がり太るから炭水化物を抜けば太る理由を排除できるよね。」--①
B「確かに炭水化物を摂取することにより太るし、抜くことで痩せることは認めるよ。でも炭水化物を抜くと脳に栄養がいかず体に悪いよね?」--②
A「炭水化物抜きダイエットというのはそもそも完全に抜くわけではないよ。ライザップでも一日に50gは摂取するように言ってるよ?更に人体には糖新生という仕組みがあって糖質以外の物質から栄養を作りだすことが出来るんだ。」--③
C「確かに糖新生然り炭水化物抜きダイエットでも脳に問題はないということは間違いないね。ただ、糖質を取らないことにより腸内環境が悪くなって太りやすい体が出来てしまうというデータも有る。短期で見た場合は炭水化物抜きは有用であると思うけど長期で見た場合は炭水化物抜きダイエットが有用であるとは言えないんじゃないかな?」--④

それらの根拠の信憑性や有用性の定義はとりあえず考慮しないで順番に会話を見ていきましょう。
まず①の時点で「炭水化物抜きをすることで痩せる。」という知識を知りました。
この時点で大抵の人は「炭水化物抜きをすれば痩せる。ソースは医者」という固定観念が身につきます。
①の情報しか知りえない人は大して調べもせずに「炭水化物は悪だ」と決めつけて例えばツイッターで「ダイエット中に炭水化物食べるとか阿呆かよw」と言ったりもするでしょう。これがよくいる偏った知識で決めつけるキッズです。

仮に④まで理解できている人が「炭水化物抜きは効果があるだろうけど、長期で見た場合問題は有るだろうね。」と呟きます。
それに対し理解度の低い人は「はあ?炭水化物抜いてれば痩せるに決まってるだろw」と決めつけます。
この時厄介なのが①の話だけを聞いた人は医者という専門的な立場の人間をソースとしている為に間違っている可能性を考慮しないのです。
このように実際に①しか知らない人と④まで理解できてる人の間にはかなりの知識の差があるのです。
だけど基本的に④まで理解できてる人は②、③の說明までしたがることはないのです。
むしろこの程度の内容だったらわかりやすく解説することも出来ますがもっと深く難しい内容だったりした場合①しか理解できてない人に説明し切ることは不可能に近いと言っても過言ではないでしょう。



2.ネットの住人の思考能力


最近ネットをやっていると無性にこのような経験をすることが多いです。
それも今の例で言う①しか理解してない人に文句を言われるならまだしも根拠が一切無いか完全に破綻しているレベルの人が非常に多いです。
僕が配信をしたがらない大きな理由の一つにリスナーの低レベル化が有りますが、先程の例で言うところの④まで理解している配信者がリスナーに対し「炭水化物抜きダイエットは有用とは言い切れないよね」と発言するとリスナーから「は?馬鹿じゃねえの炭水化物は太る原因だから悪に決まってんだろw知ったかしてんじゃねえよw馬鹿w」と無学な発言をされるかもしくは、①~③まで正しく理解してるわけでもないのに「そうだよね!炭水化物抜きダイエットは有用とは言えないよね!そのとおり!」という謎のイエスマンだらけだからです。


少し観点を変えますが、「そもそもこの根拠が果たして有用なのか?」という問題も当然あります。
先程のやりとりは信憑性を考慮しないという前提の元に成り立っていましたが、本来なら上記のような例だけではなく「本当にその根拠は正しいのか?」という問題や「そもそも有用性という言葉の定義はどこからどこなのか?」という問題もありますね。
最近ネットをやっていてよく思うのが評価する側のはずのリスナーが昔よりも更にまともな評価が出来てないなって思うことが多いです。
明らかにそれは固定観念で有り、根拠がなかったり主観をさも当然のように語っていてもそれが違うと気づけるレベルの人は中々いないのです。先程の例で言うところの①まで理解できてる人はいっぱいいても④の段階まで理解できてる人は中々いません。

良い例として最近よく聴く謎の阿呆のテンプレの「主観で語って何がいけないんだよ」という話もあります。
討論のルールで「主観を共通認識のように語ってはいけない」というものがありますがそれを理解できてない人はかなりいます。それどころか「そんなルールどこに書いてあるんだよw」とまで言ってくる人もいます。
今回の本題とは異なるので主観と客観についての說明は省きますが、主観で喋ったらまともな討論にならないということが理解できないのは論理的思考がまともに出来ていない。もしくは主観という言葉を履き違えているの二択でしょう。



3.まとめ


このように賢い人と浅学者では思考がかなり異なります。
ですが勉強していないから過ってしまうというわけでは有りません。
先程のような例は仮に①の知識しか無かったとしても「炭水化物」の性質自体にも目を向け調べようと判断したり、大して知識がないのにわかった気になって語るのはやめよう。と気づければ問題ないのです。
主観や無根拠の話についても論理的な思考力がまともであればそもそも勉強することがなくても間違えることも無いでしょう。

ただ、一番の問題は有る集団において④まで理解している人が極少数で①しか理解してない人が大多数だった場合④が批難される場合がほとんどだからです。
ではその場合④は②~④までをわざわざ説明しなければいけないのでしょうか?それも仮に説明するという労力を割いても理解できない人も多くいるでしょう。
挙げ句その場合集団心理が働いて①しか理解してない集団は「炭水化物は悪じゃないと思ってる馬鹿いるらしいw」と共通認識を持つことにより自分たちの考えが確固たるもので間違いがない。むしろ炭水化物が悪だと思ってないのは勉強不足か負けず嫌いだから認めたくないだけだと自分の考えを疑わなくなっていきます。
「自分たちの考えは本当に正しいのか?」と疑問を持ち調べる能があればこのような問題は起こりませんが残念ながら大多数の人はこの程度の思考もできないほど馬鹿なのです。

別に無知は恥ではありません。
って書こうと思ったけどこういう言葉も「本当に無知は恥ではないのか?」と疑うことも覚えてください。
ちなみに僕は無知は恥ではあるかもしれないけどそんなことを言いだせば赤子は全てにおいて無知だから恥なのか?という話になるし、無知が恥だとしても知らないままだったり調べようとすらしない方が恥だと思うので僕は無知は恥と言うほどのことではないと思います。「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」という言葉もありますしね。

大人検定の実施について

2016.04.26 (Tue)
お久しぶりです。
今日は常々思ってることを、よく配信でも述べてること『大人検定』について書かせてください。

大人検定とは僕の考える架空の検定です。
この検定は有る一定以上の年齢を超えた際に実施されるものであり、国民全てが受ける責任を負うものとします。
検定に合格出来たものは普通に生活が出来、この検定に合格出来なかったものは隔離、もしくは死刑にしてしてまってよくないかというものです。
なんとも恐ろしい制度かと思われるかも知れませんが僕はこのシステムを導入することで秩序の安定に繋がるのではないかと思っています。

皆様は今まで会った人の中で一番の悪意を持つ人はどんな人だったでしょうか?
僕はネットという公共にて多くの人と知り合いまた配信者という立場故か多くの相談を受けてきました。
例えば脅迫を行い女児を性奴隷にしようとするもの、リベンジポルノを悪用し強姦事件を起こすもの、法に裁かれない範囲で虐待を犯すものもいれば、彼女を寝取られた腹いせに家を燃やす者、貧乏に困る少女を半ば無理やり風俗で働かせる等様々な人を見てきました。
だが、所詮僕が見てきた悪人たちも世界中に蔓延る悪人のうちの一部であり、世界にはもっともっと悪い人がいると思うしニュース等で報道されるような事件のように空想と間違われそうなほど凶悪な話はよくあります。
こんな悪人達が果たして普通の人々と同じ暮らしを受ける権利があるのでしょうか?
僕はよく配信中に「犯罪はバレたら犯罪でありバレなければ犯罪ではない」といいますが本当にこの通りだと思います。
テレビ等で報道されている凶悪時間は所詮世界で起こっている凶悪事件の露見している部分だけであり、それらは所詮氷山の一角なのではないでしょうか?
僕の好きな漫画にデスノートという漫画があります。かなりの人気を誇り実写化までされているので知らない人の方が珍しいとは思いますがあの漫画でも法に裁かれぬ犯罪者を殺すキラに対し熱狂的な信者が湧いていましたよね?あの漫画でも最終的にキラが完全悪であるかどうかについての言及は控えていてキラのやり方は間違っていないのではないかと問いかける描写までありましたが、僕も完全に肯定とまではいきませんがある程度は共感を覚えます。

またよく放送中に話す話の中で雑草の話があります。
花を育てる時に人はその花が摂取すべき養分を吸おうとする雑草を引き抜きますよね?
ですが人間にはそのような制度はありません。頑張って必死に生きている人間に対し邪魔をしようと足を引っ張る人間なんて腐るほどいますし嫉妬にまみれその人に不快感を与えるような人も多くいます。
無能な人間は有能な人間を妬み悪意を向けてきます。何故人間も雑草のように引き抜かれないのでしょうか?
もちろん、引きぬくとはいえどういう基準を設けて間引くのかという問題もありますが明らかに雑草だとわかるような人はいらなくないですか?俺はクズだからと自覚し悪意の限りを尽くす人も多くいます。彼らが生きる意味って一体なんなんでしょうか?
彼らには更正の余地があるだのなんだのという意見も聞きますがそれならそれで間引くとまではいかなくても更正後も隔離するなどの何らかの処置はあってもいいのではないかと思います。事実そのような対策をとらない為に最近酒鬼薔薇聖斗こと元少年Aの更正問題が大きく騒がれて死刑で良いんじゃないかという声が多く上がりましたよね。

もちろんこの制度にも多くの問題が有ります。
まずこの制度の試験の基準の問題です。何を善とし何を悪とするのか。
善悪というものは観点によります。一方から見たら善であっても他方から見たら悪となることもあります。
ですがよく考えていただきたいのですが法律は何を持って悪としていますか?
例えば法律には殺人は悪としますがそれは何故でしょう?自然界から見たら強きものが生き残り、強きものが優秀な遺伝子を残す。これが当たり前なわけです。
ですが現代社会において物理的な強さは重要視されておらず優秀という概念がかなり曖昧で多種多様なものだからこそ殺人は悪とされているわけです。
このように法律というものは他方からの考えを無視し法的価値観を押し付け民に強要しています。
こういう言い方をするのはあれですが殺人をしてみたくて興味本位に人を殺したという人だって一切の悪意があるつもりはなく他の人より知的探究心が強いだけなのではないでしょうか?そのようなある意味純粋な気持ちでさえ法の下では悪となるのです。
つまり法という価値観の押し付け強要している以上試験も法の価値観に基づき一方的に悪を決めればいいのではないでしょうか?

次にこの試験を仮に合格したとしてもその試験中だけ真っ当なふりをすればいいだけではないかという問題です。
これは防ぎようのないことですしこれを実行してバレないように凶悪犯罪をおかすものも出てくるでしょう。
ですがこの試験に落ちたものが一般とかけ離れた罰を受けていればこれが抑止力になることは間違いないと思います。
事実自分の知っている人でも初犯であれば大した罪を受けずに済むだからばれるまでは続けると考えるものもいます。
このような考えを廃止することは出来るのではないでしょうか?

またこのような試験を行うことにより向上に繋がるというメリットがあります。
昨今では競争という文化をなくし全ての人が平等であるべきだと言う主張をよく聞きますがそれは果たして向上心に繋がるのでしょうか?例えば先程の大人検定のようなものを実施し不合格とは言わないものの点数の悪い人に対して落ちこぼれの烙印を押せば不合格者と同じ末路にならないように向上心を持つ人が増えるのではないでしょうか?

もっと多くのことを語りたいですが疲れたので今日はここらへんにしておきます。
最後に一つだけ言わせていただきたいのですが法は万能ではないです。いくらでもくぐり抜ける手段もあるし所詮人間の創りだした穴だらけのルールです。まぁどちからというと法が悪いというよりは教育が悪いという意見が正しいとは思いますがとにかくこんな不完全なルールの中で生きていくのって辛いですね。まぁ完全なんて不可能なのでしょうが

生物が生きる理由

2015.07.20 (Mon)
今日は人が生きる意味について持論を交えて話します。

よく僕が「生物学的に言うと人とは遺伝子の乗り物であり、子孫を残すために生きているようなものだ」と言っていますがそれはどういう意味なのか詳しく説明したいと思います。
まず前提として上記の発言はあくまで生物学上においてという意味合いです。また人という表現を使いましたが生物全般に言えることでしょう。

皆様はカマキリの交尾をご存知でしょうか?
交尾中にメスがオスのことを食すのです。
これは「生まれてくる卵の栄養になる為」というのが定説です。
この事実を知った当時幼かった僕の心には衝撃的で、なんとも言えない悲しさを覚えました。
ですが僕はこのことについて少し素敵だなとも思いました、カマキリは知的生命体ではないのでおそらく交尾相手を食うことへの悲しさなんて無いとは思いますが、「大好きな妻との子供の為に自らが食される。」素敵なことだと思いませんか?僕の考えが毒されているだけなんですかね…
そして栄養のためとはいえ自分の夫を食べる妻。人間社会においては食人文化は憎悪されているのでもちろんこれが浸透することはないですし、人はカマキリと違い栄養を確実に入手する手段を得ている為そのような行動をとることはないですが素敵だと思います。
時々恋人に殺されたい願望を持ち合わせている人がいますが彼らももしかしたらこれに近い感覚なのかもしれないですね。

人の死後という概念を考えた時に人の肉体は死後どうなると思いますか?埋められるにしろ焼かれて灰になるにしろ人の肉体が消えることがあったとしてもそれを構成していた元素までが完全に消滅することはないのです。結局この世界のものは循環していて例えばその死んだ人の家族の体内の一部の構成要素として成り立っているかもしれないですよね。好きな人が死後自分の体の一部になっているなんて素敵だと思いませんか!
それを体現する生物としてアンコウという生物がいます。
彼らは交尾時にオスがメスの体に噛み付きやがて完全に融合します。
カマキリの時と違いアンコウの場合は完全に体に同化するのです!なんとも神秘的で面白い生物なのでしょうか。

さて話が少し逸れましたが次に人間の生殖について
人間が一番生殖に向いている時期は10代だと言われています。
そして体の劣化が始まると言われているのは20代前半から、酷く劣化を始めるのは25歳からという説もあります。
まるで「生殖が終わったらもう生きている意味が無いので早く死ねよ^^」と自然界が言ってるかのようですね、悲しいかもしれないですが人間の体はそのようにプログラムされているのです。
結局カマキリにしろアンコウにしろ人間にしろ、生殖後は自然界的には生きている価値があまりないのでどんどん死に向かうようにプログラムされているのです。これらの事実は悲しいことですが抗うことの出来ない現実なのです。
でもよく考えて欲しいのですがむしろ自然界からしてみたら我々が生きている意味が他にあるのでしょうか?
何億年と続くこの地球という星においてたった100年弱しか生きない生物の自我なんて地球からしたらとてもどうでもいいもので我々の命なんて小さくはかないものなのです。ぶっちゃけ人の命は地球より重いなんて言いますけどあれは嘘です。
人が何人か死んで地球にとって損になりますか?社会が何か変わりますか?結局人が数人死んだところでほとんどの人からしたらどうでもいいのです。命とは儚いものですね。
ですがそんな我々でも子孫を残す事ができます。子孫を残すということは地球からしてもメリットのあることなのです。我々一人一人の命は儚く脆く大したものではなくても子孫を残すことで大きく地球に貢献することが出来るのです。


追伸
これはあくまで生物学的見解です。
生物学的見解を除けば糞ニートで知性の欠片もないような奴の子孫なんて残されても迷惑なので残さないでください。

自殺する人が可哀想って言う風潮wwwwwwwwwwwwwww

2015.02.11 (Wed)
やめませんか?
学校が辛くて交友関係が辛くて会社が辛くて色々辛いことはあると思います。
きっと過酷な状況で頑張ってきたけど苦しすぎて耐えれなくなったんですよね…さぞ辛かったでしょうね…
それで?

自殺って自分を殺すと書いて自殺です。
どんだけ正当化しようが人の命を大事にしてないことには変わりません。重罪ですよ。人殺しと一緒ですよ。
確かに残された遺族は凄い可哀想です、お悔やみ申し上げます。
だけど自殺した人が可哀想という風潮はおかしくないですか?
そんな頭のおかしい風潮があるから自殺する人がどんどん出てくるんじゃないでしょうか?
自殺する人は折角生まれたにも関わらず自分で命を絶つ、生きるのが辛くて。
では残された産んでくれた親や親しい人はどう思うでしょうか?
生きたいと思って必死に頑張っても生きれない人がいるというのに辛いことがあるから自ら命を絶つなんて死んでしまう自分可哀想とか思って自分に酔ってるとしか思えませんね。
もちろんだからって自殺した人を嘲笑うのは残された遺族に失礼だから嘲笑うべきではないが自殺をするということがどれだけ罪深いことなのかを考え直して欲しいと思います。

というわけでもしこのブログを読んでる人の中で自殺しようかなとか思ってる人がいたらやめましょうね。
どれほど酷く最低なことをしているのか考えましょう。何度もいうが自殺は自分を殺すと書いて自殺。
人殺しと同じですよ?辛いことがあるからって最悪なことをして人生の幕をおろしたいんですか?
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